- Beyond the Motor Life 別館 -

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倫理的考察。

人はどう生きるべきか?というシンプルな問いに、僕はシンプルにこう結論する。即ち、楽しく幸福に生きよ…と。

ところがこれが多くの人にとっては難しい。
現実を取り巻くめくるめく諸要素の中で、混乱してしまうのだろう。
楽しく幸福に、が判らない。

楽しいとは感覚的に楽しいという事である。
「今楽しいと思っている」「あの時は楽しかった」が楽しさの本質である。
僕の語る楽しさとは、M・チクセントミハイの言うフロー状態の事である。
即ち「今その事に全力で没頭しており、それが自分自身の成長に繋がる」ような一種の恍惚状態がそれだ。
自分がどんな条件で「楽しい」という感覚を得るか、その法則性を探る事こそが幸福に生きるための礎となる。

一般に、感情と理性は対立するものであると考えられている。
しかしそれはおかしい。感情と理性は単に脳の機能である。
理性が人に備わっているのは何故かというと、それはよりよく生きるためだ。もしそうでは無いとしたら、その種はまさに理性によって淘汰されるであろう。

「楽しい」というのはよい感情である。
感情の上に理性がある、という階層を考えるのならば、その理性はまさに「楽しい」=よい感情を導くために使われるべきだ。
ここに至ると感情と理性の対立は解消され、理性を活用してよりよい感情を導く、という一連の過程が得られる。

一例を挙げよう。僕は最近よく登山の企画を行っているが、その動機は下記のようなものである。

・なぜ登山をやるか?⇒楽しいから
・なぜ面倒な登山の企画をするのか?⇒楽しい企画を立てるのは楽しいから
・なぜわざわざ必死になって山を登るのか?⇒楽しいから
・なぜそんな事にお金を遣うのか?⇒登山が楽しいから
・メンバーの参加調整など大変ではないか?⇒それでもみんなで登ると楽しいから

即ち僕は単に楽しい事をしているのであり、楽しい事の為に自分の理性を活用するのである。ちなみに登山をすると、副次的に健康的になったり、友人が増えたりといったオマケも得られる。
こうした「楽しい」という経験を積み上げる事で、人は自然と幸福になれるのだと思う。

以上の考察から、僕の倫理における第一歩は「楽しい」という感覚を得る事、そしてその条件の探り出しであろう。まずは自分の感覚を信じて、そして自分自身の諸「楽しさ」をしっかり吟味すべきなのである。
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根拠を求めて。

ハイデッガーの如く、予め自らの生の根拠を措定して気張っていくような生き方は、気まぐれな僕には出来そうにない。生きる根拠…本質的にそんなものは無く、実存的にはそれは死ぬ時にしか判らない。
それでも、どうしても根拠が欲しくなってしまう。
根拠に至る為には、ひたすら自分の感性と直観を信じるほか無い。
だから僕は、これからもジタバタと、彷徨いながら根拠を求めて行く。

拠り所。

この均一的な・同質性の高い日本で暮らしており、「自分は普通じゃない」という意識を持ってしまう…そうすると、拠り所を求めて「自分はこれこれの為に生きている」と主張したくなってしまう。
しかし、人間の生には根拠が無いのでその試みは必ず失敗する。

因果なものだ。

結局、僕は。

色々考えてみたのだけれど、やっぱり僕はクルマの(特に、所謂スポーツカーの)価値を再発見し、残してゆきたいのだと思う。
バブル期=第二次スーパーカーブームの頃に生まれて、恰好良いクルマに憧れて育ち、中学~高校時代はGTromanの世界に憧れた。
その一方で、クルマはより安全になり、環境負荷は低減した…と同時に僕が好んだ「速くて恰好良いクルマ」はどんどん失われていった。

僕の中にはこの辺りの悔しさが通底している。
2002年の排ガス規制はショックだった。大好きだったスープラ・GT-R・RX-7がいずれも販売中止となってしまった。
僕はスポーツカーが失われる過程を見てきた。
現社会の趨勢を見る限り、この傾向は止まらないと思う。
社会はどんどん正しく縮こまって、僕の好きだったスポーツカー、そしてそれを取り巻く文化は失われてゆく。

それでも今、クルマはパーソナルな移動手段として極めて優秀だ。
自分の意志でどこまでも行ける。ここに愉びを感じるのは、人間が進化の過程で培ってきた「移動する・探索する」能力が活性化するからだと思う。
また、運転するという行為は人間の身体の拡張である。
僕はここに、クルマに限らず「人間と道具」の本質を見る。

いずれにせよ、僕は人間とクルマとの関係性に根拠を求める。
こうして根拠を残しておけば、クルマやスポーツカーという形態をとらずとも、僕の発見してきた価値が残されると信じるから。
僕の探求は終わらない。

信頼関係。

人間関係に於ける或る理想型について考える。
僕が考えるに、それは「互いが全てを曝け出して、そして互いが全てを認め合える関係」である。自分自身の嫌らしい部分、ネガティブな部分、恥ずかしい部分を曝け出す。
相手を信頼して、恐る恐るこれをやるのである。
そして、これが受け入れられた時、通常人は無上の喜びを得る。

信頼関係に基づかないコミュニケーションは悲惨である。
相互不信。
信頼が無いからこそ、その人は他者を支配したがる。不安が生まれる。
距離が近くても孤立する。不幸の連鎖である。

皆が皆を信頼出来る、そんな社会の訪れを僕は望んでいる。
それが、例え目が眩む程遠い将来だとしても。

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