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普遍は無い。

この世に普遍は無いのであり、従って当然ながら僕の中にも普遍性・一貫性は無い。だから思想的一貫性など気にせず、ただただ思った事を列挙した方が有用であるかも知れない。
そういうスタイルを考えてみようと思う。
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語彙と感情

僕は“言葉”が苦手だった。
あるいは今もそうかも知れない。

僕は学生の頃は数学が得意で理系に進んだ典型的なタイプだったから、国語や言葉に対する漠然とした苦手意識を持っていたのだと思う。
(学校で習う)数学の楽な点は、ある一定の法則さえ覚えておけば、あとはその応用だけで済んでしまうことである。
漢字や熟語の暗記など、非効率的だと思えてしまう。

先日、POPSの歌詞を解釈するある会合に参加してきた。
歌詞とは詩である。高度なものは、レトリックを駆使し比喩に比喩を重ねたような繊細な表現が為される。
こういうものは、僕が苦手としていたものの最たるものであって、だからこそ今新ためて学んでみようと思った。

例えば良い歌詞を書く技術、という観点で考えてみると、上記のレトリックとあとは多彩な語彙であると僕は考える。
豊富な語彙とレトリックの技術があって初めて、表現に深みのある詩が生まれる。

話は一転するが、安富歩『ハラスメントは連鎖する』という新書を図書館で借りて読んでいる。
こちらの4章の内言語の話が興味深い。
内言語とは次のようなものだ。

内言語…本を読んだりものを考えたりするときに用いられる言語
⇔外言語…実際に口に出して発音される言語

さて、この内言語について面白いと思ったのが次の一説である。

──興味深いのは、内言語として感情の名前のレパートリーを前もってたくさんもっていた方が、より精神的に成熟しやすいと指摘されていることである。──(pp.117)

以上がどこで指摘されているのかは判らないが、非常に興味深いと思う。自分の感情を適切に表現する語彙を持ち合わせる事で、落ち着いてその感情に対処出来るのだと言えるのではないだろうか。

事ある毎に感情的になるのはスマートな生き方では無い。
かと言って、自分の感情を押し殺すような生き方は健康的とは思えない。自分の感情を表現できる語彙を身につけることが出来れば、感情に溢れ、かつ感情的にならない生き方が可能なのでは無いだろうか。

今の僕は、自分の“言葉”を着実に身につけていきたいと考えている。

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