- Beyond the Motor Life 別館 -

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自己理解

大概の人は、自分の思っている以上に自分の事を理解していない。
僕はこの認識が必要だと考えている。もちろん僕も例外では無い。

そもそも自分を「理解する」とはどう云う事だろうか?
僕はまず、自分の感情を素直に感じる所から始めるべきだと考えている。好ましいものも嫌なものも、ありのままに感じてみる。
自分の感情に蓋をするような生き方をしていると、この段階でも結構な時間を要するかも知れない。

感情のモニタリングが出来るようになったら、次に自分の感情を生み出す要因について考える。なぜ、自分は嬉しかったのか?あるいは苦しかったのか?などなど。周囲の要因について考えてみることで、次第に自分の感情をある程度コントロール出来るようになる。
この段階はひたすら試行錯誤である。従ってこれもそれなりの時間を要する。(あるいは常に続けておくべきプロセスだ)

例えば僕は運転する時間が好きらしい。
どうしようも無く気分がくさくさしたとき、とりあえず運転さえすれば何となく気が晴れる。これは僕固有の法則であるが、僕はこれを利用して鬱屈する事態を避けている。

そう、法則。
目指すべきは自分固有の、感情を左右する法則を見出す事なのだ。
僕はこの法則を深めてゆく事こそが、自分を「理解する」事だと考えている。さらに言えば、この法則を深める事で、真に自由への扉が開ける…そう僕は信じているのである。
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“遊び”の継続

僕は、人間の生の本質は“遊び”であると考えている。
但しここで云う“遊び”を狭く捉えてはならない。

幼少期の僕は積み木が好きだった。
積み木をいじくる時、何かの目的の為の手段としていじくっていた訳では無い。従って、これは自己目的的な、純粋な“遊び”であった。

僕はこの時何を感じていたのだろうか?
大袈裟な言い方かも知れないが、僕は積み木を通して創造性を発揮していた。積み木のブロックを組み合わせて自分の世界を構築する試みを、僕は純粋に楽しんでいた。

しかし、積み木を通して発揮できる創造性にも限界がある。
積み木の形状のパターンは有限だからだ。暫くして僕も積み木に飽きて、より自由度の高いLEGOブロックに移行した。

“遊び”とは単に積み木やLEGOブロックというような、そのものの内容によって規定されるものでは無いと僕は考える。
何かを為すプロセスに於いて、創造性を発揮しそれを純粋に楽しめるのであれば、何であれそれは“遊び”なのである。

例えば仕事というのは通常、生活の為に止む無く行うものである。
なのだがやりようによっては、仕事のプロセスを“遊び”に変換出来るのではないか?これは、真にマネジメントの目指すべき姿だと思う。

ところで僕は現在、設計の仕事をしている。
設計の仕事というのはモノの形状や仕様を決めてゆくものである。
ある意味これは、積み木やLEGOブロックの延長なのかも知れない。

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