- Beyond the Motor Life 別館 -

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“好き”の呪縛

何となく興味深いテーマなので書いておく。
「貴方は○○が好きですね」何気なく交わす会話だし、僕も便宜的によく使う。だがこの言葉がどうも僕を呪縛にかけているような、うすら寒い感覚を覚えさせられる事がある。

僕は“好き”と云う状態は無条件に肯定できるものでは無いと考えている。何故ならばそれは執着であって、ある種の気持ち悪さを伴うものであるから。ブッダの考えに従うのであれば、そうは云っても通常、人は執着から逃れられないのであるが…。

閑話休題。
例えば「僕が対象Aを好き」と云ったとき、その瞬間に僕と対象Aが括りつけられ、固定化されてしまう事に僕はうすら寒さを覚えるのだ。
僕は次の瞬間にはもう対象Aに執着しなくなっているかも知れないのに、そんな僕の可塑性を否定されたような気持ちになるのである。

こう書いたところで、「貴方は○○が好きですね」と云った会話はよく為されるし、相変わらず僕も使うと思う。それはそれで良いのだ。ただ、僕は自分の正直な感覚を留めておきたく、ここに記述した次第である。
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幸せ予測

日々の生活にはありとあらゆる予測が入り込んでいる。
天気予報は予測だし、「○○時に出発すれば会社に間に合う」というのも習慣化された予測と言える。確実な未来というのは存在し得ず、それ故にどれほど精度を上げようと予測は予測なのである。
勿論、その精度は高いに越した事は無い。

我々の生きている社会と云うのは、各人がそれぞれの幸せを追求し、対価を払い経済を回す事で成り立っている。
多くの場合、サービスや物資を享受する前に対価は支払われるのである。従って、これを享受するものは、予めそれは対価を支払うのに値するものか?即ちそれは自らを幸せにするものか?これを予測しなければならない。

かようなルールであるから、売り上げ向上を至上命題とするサービスや物資の提供者は、如何に消費者に「幸せのイメージ」を想起させるか?を考え奔走する事になる。結果、社会は様々な「幸せのイメージ」を持たせたサービスや物資で溢れ返る。

一方、我々が追求しようとしている幸せとは一体何であろうか?
僕はこれは、単にある種の心理的状態でしかないと考える。
それはどういう状態か?を書くと冗長なので、今回詳述は控えるが…。
ここで僕が言いたいのは、幸せと云うのは如何なる外的な状況とも直接の関係は無いという事だ。

こう考えた時、身の回りには外的な「幸せのイメージ」が余りにも溢れている事に気付く。有り体な所で言えば、結婚すれば幸せになれる、良いクルマを買えば幸せになれる、等々…。
翻って僕は、幸せは心理的な、即ち内的なものと捉える。
従って得られる帰結はこうである。「結婚して幸せになる事は有り得る」「あるクルマを買って幸せになる事は有り得る」ただそれだけ。
勿論、それと逆の可能性もある。

以上のことから、社会の提示する「幸せのイメージ」に翻弄されずに、自身の幸せを予測する術が今を生きる上で必要だ。
現状、これを怠って安易な失敗をする人が少なくないように思われる。(でなければ、これほど離婚が常態化するはずが無い)
精度の高い幸せ予測。
前回書いた自己理解は、この第一歩である。

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