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なぜ哲学をやるのか?
僕は僕自身の育ってきた環境のお陰も有り、いわゆる宗教や哲学と云ったものに元々余り忌避感は持っていなかった。
仏教に関する本はちょこちょこ読んでいたし、大学4年の頃からは西洋哲学にも興味を持ち、この辺りの読書習慣は未だに続いている。
なぜ大学4年の頃に西洋哲学に興味を持ったか。
きっかけは確か技術者倫理の類いの講義だったと思う。
技術者として或る価値判断をする際の基準として、カント(義務論)とベンサム・ミル(功利主義)が参照されていた。
研究室ではしきりに「自分の考えを持つ」ことが称揚されてきた。
それ故に、「自分の考え」のベース構築の為に哲学を学ぼうと思ったのだろう。
では、なぜ今も哲学をやるのか?
考えてみると、僕は「自分の考えを持つ」作業を未だに繰り返しているのだと思う。もちろん学生だった頃に比べて僕の「自分の考え」はだいぶ芯の通ったものに成ったと感じている。
だが、だからこそその「自分の考え」を更に拡張、緻密化したい欲求に駆られるのだ。これは技術者としてよりも、一人の生きる人間としての僕の欲求である。
僕がこの知的探求をいつまで続けるのか?それは僕にも判らない。
今は、単に僕自身の欲求に従って続けてゆくだけなのである。
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