- Beyond the Motor Life 別館 -

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結局、僕は。

色々考えてみたのだけれど、やっぱり僕はクルマの(特に、所謂スポーツカーの)価値を再発見し、残してゆきたいのだと思う。
バブル期=第二次スーパーカーブームの頃に生まれて、恰好良いクルマに憧れて育ち、中学~高校時代はGTromanの世界に憧れた。
その一方で、クルマはより安全になり、環境負荷は低減した…と同時に僕が好んだ「速くて恰好良いクルマ」はどんどん失われていった。

僕の中にはこの辺りの悔しさが通底している。
2002年の排ガス規制はショックだった。大好きだったスープラ・GT-R・RX-7がいずれも販売中止となってしまった。
僕はスポーツカーが失われる過程を見てきた。
現社会の趨勢を見る限り、この傾向は止まらないと思う。
社会はどんどん正しく縮こまって、僕の好きだったスポーツカー、そしてそれを取り巻く文化は失われてゆく。

それでも今、クルマはパーソナルな移動手段として極めて優秀だ。
自分の意志でどこまでも行ける。ここに愉びを感じるのは、人間が進化の過程で培ってきた「移動する・探索する」能力が活性化するからだと思う。
また、運転するという行為は人間の身体の拡張である。
僕はここに、クルマに限らず「人間と道具」の本質を見る。

いずれにせよ、僕は人間とクルマとの関係性に根拠を求める。
こうして根拠を残しておけば、クルマやスポーツカーという形態をとらずとも、僕の発見してきた価値が残されると信じるから。
僕の探求は終わらない。

転機。

クルマネタ。みんカラには書き辛い内容なのでこちらに書く。
最近、“ロードスターの次”を考え始めた。
今までは多分考えなかった。確か、緑がお釈迦になって買い換えたとき、ほぼ迷わずに今の小豆に決定した記憶がある。
つまり2年前は「何が何でもロードスター」だったのだ。

なぜこうも変わってしまったのか?
ロードスターは良いクルマだ。これは頑として主張できる。
安くて、気軽に買って乗れるし、それでいてかなりディープな世界まで突っ込んで行ける。実際、ロードスターのオーナーはライトな方からディープな方までのレンジがとても広い。

僕もロードスターで色々楽しんだ。おおよそ“クルマで遊ぶ”といったものの大抵の事はしたのでは無いかと思う。日々のアシから長距離旅行・キャンプ・車中泊・ジムカーナ等々…何気にサーキットが無いのだけれど。

だけどそんなロードスターに限界を感じている。
ロードスターに乗っていて一番嬉しい瞬間は、ロードスターを一番上手く操れた瞬間である。僕はロードスターを教材として腕を磨いてきた。
そして、その上達の壁が見えてきたように思えるのだ。

きっかけは今年のOCFC夏の走行会。
僕は非力なロードスターで、全車26台中3位のタイムを叩き出した。
僕より下には、R32 GT-RやRX-8と云った、間違いなくロードスターより格上であろう車種もいた。3位…この結果は僕の磨いてきたスキルの証明であり、僕はこの結果を誇りに思う。

この経験から、僕はそれなりにロードスターを乗りこなせている事を実感した。知らず知らずの内に僕は“クルマを操る技術”のレベルを上げていたのだ。

そんな想いの中で参加した秋のツーリングである。
2日目恒例の麦草峠越え、結果から言えば僕は、先頭集団について行く事が出来なかった。300PSなんなんとするクルマ達についていけないのは当然かも知れないが、僕は悔しかった。
友人の乗るS2000は僕に着いて来れなかった。僕の腕はそれなりのレベルに達している。であれば、後はクルマの問題である。
ここに来てロードスターの限界が顕在化したのだった。

ではどうすれば良いのか?
ロードスターより速いクルマは星の数ほどある。
だが、速いクルマに乗って速く走れるのは当然の事象であり、それは一瞬の愉びを僕に与えてくれるかも知れないが、それまでである。
やはり、引き続き僕がステップアップする事で、速さを引き出せるマシンでなくてはならない。

そこへ行くと、実はLotus Elise/Exigeは恰好の選択肢となってくる。
あれは極めれば速い事は先人によって実証されているし、それには高いスキルが要る。S2000などは中途半端に思えるくらい、それは魅力的な選択である。

仮にロードスターからEliseに乗り換えたらどうなるか?
まず間違いなく乗る頻度は減るだろう。Eliseは気楽に乗れるクルマでは無い。ロードスターより間違いなく走るステージを選ぶ羽目になり、場合によっては実用車を増車が必要かも知れない。
“オープンで気楽に旅する”楽しみ方が出来なくなるのだ。これは痛手だと思う。クルマとの付き合い方を根本的に変えなければいけない…と言うか、自然に変わってしまう。

あとは経済性。
Eliseのランニングコストは恐ろしいものでは無いだろうが、車両価格がネックになる。一歩踏み出すハードルが高すぎる。
一旦踏み出してしまえばめくるめく世界が待っているのは判っている。
だから迷う。

そうは言ってもまだロードスターのローンが残っているぐらいだし、まだ数年はロードスターに乗る。但し、それは永遠では無い事に気付けた。
これは寧ろ、喜ばしい事なのでは無いかと思う。

信頼関係。

人間関係に於ける或る理想型について考える。
僕が考えるに、それは「互いが全てを曝け出して、そして互いが全てを認め合える関係」である。自分自身の嫌らしい部分、ネガティブな部分、恥ずかしい部分を曝け出す。
相手を信頼して、恐る恐るこれをやるのである。
そして、これが受け入れられた時、通常人は無上の喜びを得る。

信頼関係に基づかないコミュニケーションは悲惨である。
相互不信。
信頼が無いからこそ、その人は他者を支配したがる。不安が生まれる。
距離が近くても孤立する。不幸の連鎖である。

皆が皆を信頼出来る、そんな社会の訪れを僕は望んでいる。
それが、例え目が眩む程遠い将来だとしても。

勝ち負け。

かつての僕は負けず嫌いだった。今はどうか?
そもそも価値尺度が一元化するから「勝ち負け」が生まれるのだ。
尺度が多元であればそもそも「勝ち負け」は生じない。
結局、僕は負けず嫌いでありながら、「勝ち負け」を避けているのだ。

良好なコミュニケーション

コミュニケーションには、その在り方によって良否がある。
僕の考える良好なコミュニケーションは「それぞれが自分の意志・考えに基づいて発言し、双方が互いの考えを認め合う」というものだ。
そして、話の内容が当事者の“コア”に近づけば近づくほど、そのコミュニケーションは濃厚なものとなる。

一方で双方が何ら自分の考えをもたず、ありきたりな発言を繰り返す形式的なコミュニケーション程つまらないものはない。
僕などは“大多数の意見”などと云うものに馴染みが無いので、そんなものに参加するとたちどころに疲弊してしまう。
僕は内容の無い会話に興味が持てないのだ。

良好なコミュニケーションを行うと気持ちが晴れ晴れする。
それが濃厚なものであれば尚更、その一つ一つが忘れがたい経験となる。自分の考えを述べることは勿論、相手の本心を理解出来た瞬間は、それはとても嬉しいものだ。

僕は色々な考えを聞いて、人間をより深く理解したいという欲望に駆られている。だからこそ、今後も良好なコミュニケーションを続けていきたいと思うのだ。

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