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なぜ哲学をやるのか?

僕は僕自身の育ってきた環境のお陰も有り、いわゆる宗教や哲学と云ったものに元々余り忌避感は持っていなかった。
仏教に関する本はちょこちょこ読んでいたし、大学4年の頃からは西洋哲学にも興味を持ち、この辺りの読書習慣は未だに続いている。

なぜ大学4年の頃に西洋哲学に興味を持ったか。
きっかけは確か技術者倫理の類いの講義だったと思う。
技術者として或る価値判断をする際の基準として、カント(義務論)とベンサム・ミル(功利主義)が参照されていた。
研究室ではしきりに「自分の考えを持つ」ことが称揚されてきた。
それ故に、「自分の考え」のベース構築の為に哲学を学ぼうと思ったのだろう。

では、なぜ今も哲学をやるのか?
考えてみると、僕は「自分の考えを持つ」作業を未だに繰り返しているのだと思う。もちろん学生だった頃に比べて僕の「自分の考え」はだいぶ芯の通ったものに成ったと感じている。
だが、だからこそその「自分の考え」を更に拡張、緻密化したい欲求に駆られるのだ。これは技術者としてよりも、一人の生きる人間としての僕の欲求である。

僕がこの知的探求をいつまで続けるのか?それは僕にも判らない。
今は、単に僕自身の欲求に従って続けてゆくだけなのである。

成長

人間というのは常々成長するものだと思う。成長…或いは変化の無い、固定化された人間ほどつまらないものは無い。

例えば自己紹介を考える。
自身の性格について「自分は○○な人間です」と言ったとしよう。
このとき、この言葉は厳密には「自分は(現時点において)○○(と解釈され得るよう)な人間で(あると私は考えま)す」と捉えるのが望ましい。
性格なんて各個の解釈の仕方により如何様にも定義付けられる、従って現時点においてさえその人間性は固定されない。
ましてや未来をや…というところだ。

個人が固定化された“キャラクター化”されるようになって久しい。
しかし、僕らは成長し、変化することを受容すべきなのだ。

ストイック?

ストイック…辞書的にはストア主義的と訳される。
そのものの語義としては禁欲主義や厳粛主義、またストイックというと「自分の欲望を抑え情念に動かされることなく幸福を得ようとするさま」だそうだ。

例えば僕はドライブ旅行の際には“夾雑物”を排除しようとする。
これは経済的事情もあるが、加えて僕にとっては「良い景色の中を運転している時間」が最も楽しいと考えているからだ。
従って食事はコンビニか、良くても道の駅の食堂ぐらいで良いし、寝床も身体が休めれば文句は無い。
中途半端に色々入れ込むよりも、「運転を楽しむ」という目的に忠実であった方が喜ばしいと思うのだ。

そう言えば僕は昔から“中途半端”が苦手であった。
ある対象に思いっきりエネルギーを注ぐか、もしくは無関心のどちらかの態度しか取れない。J-POPは全然聴かないがフュージョン・インストに関しては余程マニアックなものまで探求しようという感じだ。
こんな感じだから学生時代の僕は大概趣味が近しい人としか話が合わなかった。「話を合わせる」為に手広く知識を広げる努力をそもそもしなかった。今は、交友関係も広がりそれでも問題無い。

結果的に、僕のような生き方はストイックと言われるのだろうか。
僕は少しも禁欲的では無い、むしろ自らの欲望に忠実であるからこそ“夾雑物”を廃しているのである。
僕は「ただ楽しんでいるだけ」であることを理解して欲しい。
これは僕の切なる願いである。

頑張る、という事

6月に入り梅雨になったが、本日は良い天気だった。
思いつきで鎌倉の方に出掛けてみた。
見頃である紫陽花も綺麗で、賑わっていた。
凛としたお寺の多い鎌倉で、あまり賑わい過ぎるのもどうかと思ったが…。

さて、本題。
前回“好き”という言葉をテーマにしたが、今回は“頑張る”である。
“頑張る”という言葉は、僕はあまり使いたくない。

なぜ、そう思うか?
“頑張る”という言葉は、「ネガティブな環境におかれており、それを受け入れる」というニュアンスを含んでいる。
どこか自らに無理を掛けるような色合いがあるのだ。
僕は「皆が無理なく暮らせる社会」を夢想している。
従って誰かが“頑張って”しまっていては、これは実現出来ない。
“頑張る”というのは、可能な限り避けるべき態度なのだ。

では、どうすれば良いのか?
或る「ネガティブな環境」におかれたとき、受け入れる前にまずは環境を変える事を考えてみるべきだと僕は思う。
僕らには知性があるのだ。そして知性は、「無理せず行為する」為に使った方が良い。そう云った態度が創造的である。

僕は如何に“頑張らない”で上手く生きるかを考えている。
仕事上止む無く妥協し“頑張って”しまう事もあるが、出来る限りこれを減らすよう努力している。(因みに、“努力”はネガティブなニュアンスを持たず、ニュートラルに使える言葉だ)
いつの日か、“頑張らない”社会の到来を夢見ている。

“好き”の呪縛

何となく興味深いテーマなので書いておく。
「貴方は○○が好きですね」何気なく交わす会話だし、僕も便宜的によく使う。だがこの言葉がどうも僕を呪縛にかけているような、うすら寒い感覚を覚えさせられる事がある。

僕は“好き”と云う状態は無条件に肯定できるものでは無いと考えている。何故ならばそれは執着であって、ある種の気持ち悪さを伴うものであるから。ブッダの考えに従うのであれば、そうは云っても通常、人は執着から逃れられないのであるが…。

閑話休題。
例えば「僕が対象Aを好き」と云ったとき、その瞬間に僕と対象Aが括りつけられ、固定化されてしまう事に僕はうすら寒さを覚えるのだ。
僕は次の瞬間にはもう対象Aに執着しなくなっているかも知れないのに、そんな僕の可塑性を否定されたような気持ちになるのである。

こう書いたところで、「貴方は○○が好きですね」と云った会話はよく為されるし、相変わらず僕も使うと思う。それはそれで良いのだ。ただ、僕は自分の正直な感覚を留めておきたく、ここに記述した次第である。

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